ダッキングは本来の空手じゃないのか問題

この記事は完全に私見です。問題提起といってもいいかもしれません。

最近の全空連の試合では、ダッキングが多用されていて、自分もよく練習したなぁとしみじみ思う今日此頃です。

ただ、「空手 ダッキング」で調べると、「ダッキングは空手の伝統にはない」とか「最近の空手は競技化していてどうかと思う」的な意見が目に付き、その槍玉の1つがダッキングでした。

ダッキングしてるがな

日本空手協会の試合を見ていればわかります。この団体では、昔からの今までルールの変更が少なく、いわゆる「伝統的」な動きが残っていると思われます。剣道的な見合いの長さと、そこからの素早い攻防はとてもかっこいいものです。その試合の中ではダッキングは有効に使われていて、ダッキングで相手の攻撃を空振りさせて、後ろをとり、自分優位の状況に持ち込む技術になっています。

和道流においても、「往なす」動作では全く以てダッキングですし、「乗る」を相手の突きの下から行う動作も通じるものがあります。

ある誤解

キックボクシングでも、「ダッキングは膝蹴りをもらうリスクが高いから、蹴りがないボクシングと違って、多用できない」と言われているようです。総合格闘技としての空手を考えた場合も蹴りへの対処を考えないダッキングが空手にあるはずがないという先入観があるのかもしれません。

でも、それは誤解だと思います。ダッキングが多用されるボクシングでもリスクが無いわけではありません。むしろ、蹴りよりも速いアッパーがあります。軌道は膝蹴りと似ています。なんなら、MMAでも、ダッキングを使って試合を優位に運ぶ選手もいます。

誤解の理由

なぜ、蹴りや組技がある格闘技においてダッキングが有効ではないという誤解がうまれるか考えてみますと、ボクシングのトップ選手によるパフォーマンス的なダッキングがイメージにあるからではないかと思います。パフォーマンス的なダッキングは、上体を大きく屈ませて、相手の膝の高さまで頭を落としているように見えます。これを見るとたしかに膝蹴りがないからできるんだよと考えてしまっても無理はないのかもしれません。

空手にはそんなに技術はないという、誤解についてはどうでしょうか?和道流にはあるし、昔の試合をみても、形の中にもあるのに。

もはや空手を知らないとしか思えないのですが、今のルールに対する不満を示す対象として、ボクシングのイメージが強く、特に最近の試合で多用されているダッキングが槍玉に挙げられているのかもしれません。

今の全空連のルールだと、とにかく早く突きや蹴りを対象部位に届かせればポイントになりますから、その技の威力や、本当のダメージが判定されません。危険の排除は空手の普及の為には仕方がないことでは、あります。ただ、それが故に、拳を握らないままでリーチを稼いだり、両手での投げの禁止で、今まで空手の技として存在していたものが失くなって行ってしまうことは残念だなという想いはあり、その部分では非難する人たちに激しく共感します。

使えるものは使う

究極的には、空手の技術としてなかったとしても、戦いの場で自分を優位に置ければいいわけですから、これは伝統的ではないとか拘らなくてもいいのかなと思っています。別の競技で発達した技術であっても、使えそうなら使うというスタンスで身に着けていけば、確実に強くはなります。

空手の創始者松村宗棍先生は剣術と唐手を融合させました。和道流の創始者の大塚博紀先生はそこに柔術を融合させています。

昔のものは良くて今のはダメみたいな発想だと、空手がここまでの凄い身体操作の技術にはなりえなかったと思います。だからこれからも、使えるものは使うというスタンスで日々精進が最適解なのではないでしょうか?

以上、空手を好き過ぎるが故の、私見を終わります。

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投稿者: keisuikansagamihara

相模原市 中央区の空手 教室です。